瀬川智貴 作品 2006〜2020

瀬川智貴~真実を伝えるための嘘

中村高朗

 九月二十一日、瀬川さん(以下、敬称を省略する)と銀座の画廊で待ち合わせをした。私は背は高い方なのだが、瀬川はもっとずっと高く、骨組みもしっかりしており、何か圧倒されるような体格の良さが第一印象だった。ゆっくり話ができる店を当てもなく探しながら、銀座の端から端まで歩いた。鬼面仏心という言葉があるが、話しながら歩いていると、口調や声からとても穏やかな人柄が伝わって来た。顔は柔和で鬼のようではないことを蛇足ながら付け加えておく。店に入ると、瀬川は現在に至る作品の様式変化について堰を切るように話し続けた。話を聞きながら、さまざまな変遷を経ながらも、変わることのないものがこの大きな手なんだと思った。この手が幾つもの時代をくぐり抜けて筆を握り続けて来たのだと思うと、それだけである感慨を覚えた。
 一九八七年より、高校時代の美術教師で画家の西村正次の助手として、数回ヨーロッパの取材旅行に同行した。この経験により自然を素直に見ること、そして独学でパステル画を描くようになった。自然を前にしてパステル画を描いていると、眼と手が直結しているという心地よさを感じたと言う。それまではかなり考えながら制作していた。その頭でっかちのもやもやした感覚を吹き飛ばしてくれる経験だったと言う。今でも写実的なパステルが制作の基本にある。
 しかしいざ油彩画を描こうという段になると、パステルとのあいだの違和感が埋められない。その違和感を埋めようとする試みが、過去のさまざまな様式の変遷だった。その時々で折り合いをつけたものが、やがて歯に何かが挟まったような感覚になる。そして新しい様式へと向かう。彼の主要モチーフは風景である。眼と手が直結したパステル、それは写実であると彼は言う。そしてパステルを油彩画にそのまま写すようなことはしたくないのだとも言う。話を聞いていてとても興味深かったのは、ヴェネチア風景、富士、鎌倉、東京風景をパステルで描いた時の感動について言及することはなく、如何に絵画を制作して来たかということに話の重点が置かれたことである。
 ピカソはキュビスムのリアリティーについて、「真実を伝えるための嘘である」と言った。極論を言えば芸術は嘘である。現実の何かをモデルにしても、現実そのものではないという意味で嘘である。「真実を伝える」ための「真実」がなければ、無価値な嘘っぱちだけである。どのような「真実」を伝えようとするのか、その「真実」があるからこそ、芸術は掛け替えのないものになる。瀬川の「真実」とは何かについては、最後の方で触れることにしたい。
 二〇〇四年の《桜島・夕照》を描いた時期の作品の特徴は、大理石の粉を混ぜた分厚いマチエールと、太い輪郭線による力強く壮大な風景画にある。それをフォーヴィスム的な作品と呼ぶことにしよう。この力強さはドラン、ヴラマンクの強さに近い。それは、大きな身体と、僕の指の二倍はあろうかと思われる骨太の手が、一気呵成にこうした絵を描いてゆくことの力強さである。次に鎌倉山に転居してから、作品に新たな変化が生じてきた。伸びやかなタッチから、細かい点を画面に置いてゆく作風への変化である。今回の出品作で言えば、《ヴェネチア 朝陽》や《稲村冬日》のような作品にその特徴がよく見られる。
 鎌倉山に引っ越してから家族構成に変化が生じ、制作のための時間が細切れになった。今までのように時間をかけて一気に作品を仕上げることはできず、中断してその続きを描くのは緊張感が途切れて困難である。点描なら小刻みな時間でも継続して描くことが可能だと言う。その言い方は我を張るのではない、とても謙虚な言い方である。時間が分断されるようになったという制約のなかで制作するには点描は都合がいいとは言え、今回の出品作のような作品を誰もが描くようになるのではなく、ましてや描けるものでもない。画家としての資質と環境の変化とのすばらしい巡り合わせによる結実である。
 DMの文章に「ゴブラン織りのようなマチエール」と書かれているが、これは的を射た表現であると思った。あの大きな手で、やはり大理石の粉を混入した絵具を丹念にキャンヴァスに置いてゆく。大きな手がまるで大切なものを育むように色を置いてゆくのを想像するだけで、ほのぼのと温かい。今回の作品のタッチには、毛糸が肌に触れるような温度 と優しい触感がある。今までの瀬川の作品の中で、今回の出品作が群を抜いてすばらしいように思う。画家としての個性がはっきりと浮かび上がって来た。
 瀬川は「うねうねするような線が好きで、それはずっと変わらないんです」と言う。《稲村冬日》では、浮世絵のような装飾的な波や富士が印象的で、彼の大好きな線が波の形に思う存分使われている。とても気持ちよさそうに描いているのが分かる。《奥入瀬 晩秋》も同様である。渓流が岩にぶつかって生じる波がここまで様式化されるのかと思う。ふんだんに使用された彼の好きなうねる描線と岩の形が呼応し、また色彩は鮮やかさを増している。今回の出品作には人間的な温かみがある。画面のうねる装飾性とリズム感と、明るい色彩が一体となって、生命ある存在に触れた時の安心感にも似た温度が宿っている。この作品群にいたって、彼はパステルと油彩画とのあいだの納得の行く距離を得たのに違いない。
 以前の作品をフォーヴィスム的絵画と言ったが、ドラン、ヴラマンク、マティスを代表とするフォーヴィスムには二通りある。ひとつは前二者を代表とするゴッホ・タイプであり、激しいタッチと色彩、線のダイナミズムに特徴がある。もうひとつはマティスを代表とするゴーガン・タイプで、明るい色彩による平面的画面構成を特徴とする。マティスの場合には大きな色面を使用するが、瀬川の場合は細かいタッチであるところに違いがある。しかし、装飾性を全面に出した心地よさという点においては共通している。瀬川が潜在的に好むうねる線は、敢えて比較するならヴラマンク、ドランのようである。そして装飾性という点ではゴーガン・タイプに属すると言える。
 ヨーロッパの絵画の伝統は具象絵画で、ミメーシス(模倣)を基本とし、色彩、フォルム、空間を客観的にイメージとして写すことにあるのに対して、フォーヴィスムの両タイプに通じる共通点は、具象絵画でありながら主観性を重視していることである。自由に色彩を選び、デフォルメすなわちフォルムを変形させても良いのである。瀬川がミメーシスによるパステル画を起点に油彩画を創り出すことは、フォーヴィスムのこの根本的原理に 基づいている。そこに彼が求める感覚がしっかりと画面に乗っているかどうか、それが問 題なのだった。
 怒涛のように話をしているなかで、熊谷守一の名前が飛び出した。もちろん日本のフォーヴィスムの代表的画家であるし、大きな影響も受けただろう。さらに「転写」という言葉が飛び出した。熊谷守一の転写を説明するのは釈迦に説法であるが、敢えて説明すればこうである。スケッチをして、それにトレーシングペーパを宛てがって写し取る。油彩画制作に移る際に、キャンヴァス、カーボン用紙、トレーシングペーパーの順に重ねて転写するのである。これによって、同じ構図の油彩画が何点も制作されることになる。様々なヴァリエーションが生まれ、そのすべてが熊谷守一のオリジナル作品であることはもちろんである。この二つのキーワードから瀬川の制作方法、油彩画を創るということの真意に一気に触れることができた。
 そのすぐ後に、晩年のモネの厚塗りが好きだと言った。晩年のモネは視力が衰え、それまでの作品とはマチエールがまったく異なる。この厚ぼったいタッチは、まさに瀬川の近 作の大理石の粉を混ぜた点描のタッチのようでもある。幾つもの様式の変遷を経て、自分のなかの好きなもの、しっくり来る描き方と出会ったのだ。さらに瀬川の点描は、スーラのものとは異なるとも語った。そのとおりで、スーラの場合は木炭のデッサンの段階から輪郭線は排除され、光と影のコントラストで描かれ、油彩画では細かい点だけで構成されている。瀬川の場合は輪郭線は明瞭に見え、彼好みにうねっている。  彼の線描は「骨描きのようなものなんです」と言う。孔子に悟道であるが、「骨描き」とは彩色に入る前に、墨で輪郭線を引く技法のことを言う。瀬川の近作では線描があり、そこに色彩のタッチを置いて画面を構成する。最初に彼の本質であるうねる線がある。長時間話しをしていても、風景から受けた感覚や感動について言及されることはなかったと上述した。もちろん感動を受けていない訳はない。だが、それよりもパステル、骨描き、油彩へと至るプロセスの方が重要なのである。ミメーシスより主観性を重視する絵画である。熊谷守一の転写がそうであったように、仮に同じパステルを基にしたとしても、そこに画家の主観性という個性を通して、それぞれ別の作品が出来上がる。
 画家が眼差しを外へ向けて世界・自然と対峙する。それを一度体内に取り込むと、今度は自分の身体のなかで反芻される。その時の感覚が自分と世界との接点であり、自分とい う存在の証となる。その感覚を油彩画を創ることによって、どのようにイメージとして定 着できるかが、制作の最終的な着地点となる。瀬川はずっとそのことにこだわり続け、様式の変遷を繰り返してきた。近作の持つ温かさは、彼の日常に立脚した存在の感覚である。瀬川智貴という人間の実在の刻印である。ピカソの言葉をもう一度繰り返して終わりにしよう。絵画とは「真実を伝えるための嘘である」。

Creative Data

CATEGORY エディトリアル / 図録
DOMAIN EDITRIAL DESIGN
DATE DEC 2020
PRINT DATA SIZE:210×230mm/4C4C/40頁
表紙:フランス製本/金箔押し/ヴァンヌーボVホワイト
本文:ヴァンヌーボVホワイト 235kg
拡文社印刷所(秩父市)

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